1985年 |
演劇集団キャラメルボックス結成……早稲田大学の演劇サークル「てあとろ50'」出身の成井豊、加藤昌史、真柴あずきらを中心に、社会人サークルとして結成。
その後、年間2〜3回のコンスタントな公演活動で、着実に観客動員を増やす。 |
1988年 |
ネビュラプロジェクト創業……それまでは手作業で、しかもバラバラに行なわれていた「演劇チラシ折り込み」を、各劇団協同で行なうための組織として、演劇集団キャラメルボックスの加藤昌史と当時「遊◎機械/全自動シアター」の制作であった梅田潤一が協力して創業。
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1990年 |
演劇集団キャラメルボックス、初の関西進出。1公演の観客動員数が1万人を突破。 |
1991年 |
株式会社ネビュラプロジェクト設立……梅田の「遊機械オフィス」設立にともなって、「キャラメルボックス」と「ネビュラプロジェクト」の業務を一本化する株式会社ネビュラプロジェクトを設立。 |
1992年 |
京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターの依頼で「キャラメルボックス・アナザーフェイス」を製作。
チケット自動予約コンピュータ「NPS」を導入。 |
1993年 |
演劇集団キャラメルボックスの応援組織「キャラメルボックス・サポーターズ・クラブ」を結成。 |
1994年 |
JR東日本の依頼で東北新幹線を使った「シアターエクスプレス」を製作。
チケット自動予約&顧客管理システム「GON」を株式会社CSKと共同で独自開発。 |
1995年 |
演劇集団キャラメルボックスの公演で、託児サービスを本格的に導入。
「キャラメルボックス・ホームページ」を開始。
演劇集団キャラメルボックス所属俳優・上川隆也がNHKドラマ『大地の子』の主役に抜擢。 |
1996年 |
JR東日本の依頼で2度目の「シアターエクスプレス」を製作。 |
1997年 |
演劇集団キャラメルボックスの年間観客動員数が10万人を突破。 |
1998年 |
CS放送「シアター・テレビジョン」にて、レギュラー番組「CaramelBoxTV」放送開始。 |
1999年 |
インターネット自動予約システム「i-Gon」を株式会社CSKと共同で独自開発。
「GON」に「抽選予約システム」を導入。
演劇集団キャラメルボックスの年間観客動員数が15万人を突破。
シアター・テレビジョンの協力で、東京公演を新神戸オリエンタル劇場に生中継する「クローズド・サーキット」開催。 |
2000年 |
Appleの協力で、『MIRAGE』東京公演ほぼ全ステージ(31ステージ)の、QuickTimeによるインターネット生中継に成功。 |
2001年 |
「キャラメルボックス・サポーターズ・クラブ」の会員が2万人を突破。
KDDIの協力で、『ミスター・ムーンライト<月光旅人>』東京公演全ステージをRealPlayerで有料生中継。
株式会社イーストクリエイティブの協力で、『ブリザード・ミュージック』東京公演全ステージをRealとMediaで無料オンデマンド中継。 |
2002年 |
ろう女優の忍足亜希子さんが『嵐になるまで待って』に出演。これを機にバリアフリーを本格的に実施。
演劇集団キャラメルボックス過去最多となる年間6公演を上演。
ネビュラエクストラサポート設立……株式会社ネビュラプロジェクト折込み・他劇団サービス部門が、鈴木弘美を代表として独立。 |
2003年 |
演劇集団キャラメルボックス『太陽まであと一歩』で東京・札幌・新潟・名古屋・神戸・福岡を回るジャパンツアーを敢行し、5万8千人を動員。
演劇集団キャラメルボックス年間過去最多の154,445人を動員。
コマンドエヌ設立……株式会社ネビュラプロジェクトデザイン部門が、橋本香苗を代表として独立。 |
2004年 |
日本テレビ開局50年記念事業・福澤一座『進め!ニホンゴ警備隊』にて制作協力。 |
2005年 |
演劇集団キャラメルボックス、劇団結成20周年。
福澤一座第2回公演『Dr.TV〜汐留テレビ緊急救命室〜』にて制作協力。
シアター・テレビジョンの協力で、『TRUTH』にて、新神戸オリエンタル劇場で行われる大千秋楽の舞台の模様を、東京・札幌・名古屋・福岡の全国4会場に生中継する「日本縦断クローズド・サーキット」を開催。
演劇専用練習場「スタジオニンバス」の貸出を開始。
演劇集団キャラメルボックス所属俳優のマネージメントを開始。 |
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